7日間が瞬く間に過ぎ去り、恐ろしく密度の濃い時間を過ごしたように思える。現場へ行った人なら分かるかもしれないが、「一体何のイベントだったの?」と聞かれても、一言で言い表すには伝えたい要素が多過ぎて、なかなか簡単には説明しづらい。
ものづくりに関心がある人、悩める若手クリエイター、何か新しいことを始めたい人など、来年はぜひ参加してみてほしいと思う。そこで、今回行われたJAPAN BRAND FESTIVAL 2016について、できる限り現場の熱と活気を伝えたいという想いを持って、イベントの様子をレポートする。
発起人の2人が感じていた、ものづくりの現場が抱える課題
このイベントには、仕掛人である重要人物が2人いる。一人は株式会社ロフトワークの秋元友彦。この企画の発起人である。現職では経済産業省の補助事業「MORE THAN プロジェクト」等、日本の良いものを海外へ広く発信する事務局業務などに携わっているが、前職は「IID 世田谷ものづくり学校」の企画・広報ディレクター。秋元が今まで体験してきたものづくりの現場、そして、日本の商材に関する支援事業を行う中で感じていた疑問や問題点、もっとこうなったらいいのに、といった想いが今回のイベントにぶつけられ、大いに反映されたように思う。むしろ、やらねばならない使命感のようなものさえ感じられた。
もう一人は、株式会社Culture Generation Japanの堀田卓哉。ブランド開発や海外展開へのサポートなど、やはり日本のものづくりを応援する事業を行っている。そんな2人が出会い、同じ志に共感、瞬く間に意気投合してしまうのも必然のように思う。
目指したのは「フラットで多様な人のつながり」
秋元、堀田が一番やりたかったのは、「フラットで多様な人のつながり」そして「そこから生まれる思いもしなかった新たな可能性」。ものづくりに関わる人、これから何か新しいものを生み出したい人、そして国内外に向けてジャパンブランドを発信したい人のために、できる限り多くのチャンスと巡り会える場所を設けていた。
「立場や所属を超え、ジャパンブランドに情熱を傾けるあらゆる文脈の人々を巻き込み、その活動を拡大・活性化する、現代版『楽市・楽座』のような場をつくること」と謳っている。日本のものづくりに関する様々なサポートを行う現場にいる立場から、こんな支援もあんな取り組みも、とサービスやコンサルが無数にあることを自分達は多く把握しているのに、それを本当に受けたい人、受けるべき人へちゃんと届いていないもどかしさを常々感じていたという。
若いデザイナーや地方在住の人などにおいては、近づきたくても近づけない存在だと遠慮していたり、知らなかったためにチャンスを逃していたり、という現状があった。一方でものづくりを支援したい行政や企業等は日々、新しい芽を探しているのに、うまく橋渡しができていなかったり、一回きりで終わってしまって、長く続かなかったり。最前線の現場でそういった状況を日々目の当たりにし、悔しい思いを募らせていたことが、このイベントの誕生に繋がった。
秋元と堀田がこの企画を構想してからイベントの開催まで、たったの3ヶ月。短期間での実現へのエネルギーはすごかった。ギリギリのスケジュール、また基本的には有志の手弁当だというのに、2人の熱心な行動に次々と賛同者が増え、結果的には7日間では足りないくらいの盛りだくさんなイベントへと成長した。ジャパンブランドに携わり多方面で活躍する方々に声をかけたところ、登壇者、出展者等協力企業や個人は50件以上集まった。「フラットで多様な人のつながり」の実現は、こうして最初の一歩を踏み出したのである。